東京高等裁判所 昭和31年(ラ)349号 決定 1956年7月13日
抗告人 青木綾子
相手方 株式会社こはく苑
主文
原決定を取消す。
本件仮処分決定執行取消決定申立を却下する。
理由
本件抗告理由は別紙「抗告の理由」および「即時抗告理由書」記載のとおりである。
本件抗告について相手方は答弁書を提出し、原決定は民事訴訟法第五四九条により第五四七条第二項の規定を準用して発せられたものであるところ、同規定による決定については不服申立がゆるされないと解すべきであるから、本件抗告は不適法として却下すべきものであると主張する。
この問題についてどちらの立場をとるについても、それぞれ理由づけができないことはなく、裁判例や著述に種々の議論が示されている。いまこれについて詳論するひまはないが、不服をゆるさないとする論拠は必ずしも決定的ではない。われわれは即時抗告をゆるすべきものと考える。その理由のこまかい点の説明はこれを省いて、これを大局的な見地から考えるに、現行の裁判制度においては裁判所は人間によつて構成されることを前提とし、人間のすることである以上、つねに絶対にあやまりがないと保証し得ないということを承認し、あやまりを是正する機会を与えるために不服申立をゆるすことが原則とされている。例外として、不服申立をゆるすことの利益よりも、それによつて生ずる害悪の方が大きいとか、裁判機関の機構の上から、不服申立をゆるすことが不能であり、これを可能ならしめるほどの機構をそなえることが国家機関の全体の比率からみて、実際上不能であるとかなど、特殊の事情ある場合にかぎつて不服申立をゆるさないこととするのである。したがつて直接に明文をもつて不服申立を禁ずる規定がなく、不服許否のどちらにも理論構成ができるならば、そうして不服をゆるすことから前記のごとき強度の害悪を生ずることが、一見明かであるか、ないしは実証的に明かにされたかでない以上、不服申立をゆるすのが相当である。当事者ないし関係人に圧制的な感じを与えてことを終るのはのぞましいことでない。民事訴訟法第五四七条第二項の決定についてはふるくから即時抗告による不服申立をゆるすことを裁判所の実際のとりあつかいとしてきたものであり、このとりあつかいが前記のごとき害悪をともなうことが明かだとはいえないし、また近来そのことが実証的に明かにされたとは認められないから、この決定にたいしては即時抗告をゆるすものと解すべきものである。この点に関する相手方の主張は採用しない。よつて、本件抗告は適法なものと認めて、すすんで内容について判断を与えることとする。
本件仮処分決定執行処分取消決定申立書によれば、相手方(申立人)の本件申立の趣旨は抗告人(被申立人)が訴外堀越俊にたいする千葉地方裁判所松戸支部昭和三一年(ヨ)第七号仮処分決定にもとずき、静岡地方裁判所沼津支部執行吏をして別紙<省略>目録記載建物にたいしてした仮処分の執行は、相手方が抗告人を被告として提起した執行の目的物にたいする第三者異議の訴の本案判決をなすにいたるまでこれを取消す旨の決定を求めるものであり、その理由とするところは、抗告人は別紙目録記載建物にたいし、昭和三一年四月二日、申立趣旨のとおり仮処分の執行をしたが、相手方は右物件につき、抗告人にたいし、引渡を妨げうる賃借権および占有権を有し、抗告人にたいし第三者異議の訴を提起したから民事訴訟法第五四九条第五四七条により右決定を求めるというのであつて、相手方は疏明として甲第一ないし第一三号証、第一四号証の一、二第一五号証および「昭和三一年五月一一日付、株式会社こはく苑代表取締役荒川元靖ほか二名作成名義、家屋並に什器類賃貸借契約証追認書と題する書面」(以下これを追認書という)を提出したのである。
しかして右疏甲第六、八、九、一〇号証および追認書をあわせると、相手方株式会社こはく苑(代表取締役荒川元靖)は昭和三〇年九月一日成立した会社であつて、同年同月五日その当時の本件建物所有者荒川元苑(現在の建物所有者は訴外桂為助)から本件建物を賃借し、(ただし、この賃貸借契約については商法第二六五条による取締役会の承認がなく、昭和三一年五月一一日にいたり、はじめて取締役会の追認があつたものであるが、いまはこの契約の効力の有無につき判断をしない)そのころ以来本件建物を占有し、温泉旅館を経営していたことが、いちおう認められないではない。しかし、疏甲第一三号証第一四号証の一、二第一五号証によると、相手方は昭和三〇年一二月一〇日ごろ、訴外外荒川元靖、岩崎ハル子から本件建物の占有を承継したものとして訴外桂為助から荒川、岩崎にたいする沼津簡易裁判所昭和三〇年(イ)第三二号建物売買等和解事件の承継執行文を付した和解調書の正本により、昭和三一年三月二七日本件建物明渡の強制執行を受け、右建物は桂為助代理人佐藤一善に引渡され、右強制執行は完了し、相手方はこれにより本件建物にたいする占有を失つたものであることが疎明されたといわなければならない。
しかして相手方は右裁判上の和解成立以前から本件建物を賃借占有するものと一応は認められるから右承継執行文の付与は不当であつたことがうかがわれるけれども、右執行力ある正本による執行がすでに完了した以上、相手方はもはや本件建物の占有者でないことにおいてかわりはない。
以上のとおり、相手方は本件建物の占有を失つた後、本件仮処分が執行されるまでの間に再びこれを占有するにいたつたこと認めるにたりる疎明はない。
なお、かりに相手方が本件建物について賃借権を有するとしても、前述のごとく目的物の占有を有しない以上、占有関係にのみ関する仮処分の執行にたいする第三者異議の理由とならない。ところが疎甲第一号証によると、抗告人は昭和三一年四月二日、千葉地方裁判所松戸支部昭和三一年(ヨ)第七号仮処分申請事件の、同年三月三一日附の仮処分債務者堀越俊の本件建物にたいする占有を解いて建物を執行吏の保管に移し、現状を変更しないことを条件として債務者に限りその使用を許し、債務者はこの占有を他人に移転し、または占有名義を変更してはならない旨の仮処分命令を執行し、昭和三一年四月二日以降は本件建物は執行吏の占有にあるものであることが疎明される。
しかして疎甲第三号証(昭和三一年五月八日付、点検調書)によると、相手方株式会社こはく苑代表取締役荒川元靖、取締役岩崎ハル子は昭和三一年四月一六日から本件建物に入居したので執行吏は仮処分債務者堀越俊および右荒川にたいし、至急原形に復することを同人らに申伝えたことが疎明される、しかし、本件におけるあらゆる疎明方法をシンシヤクしても相手方が昭和三一年三月二七日訴外桂為助から本件建物明渡の強制執行を受けて後、同建物につき抗告人に対抗しうべき占有権を再度取得したことについては一応もこれを認めることができない。
よつて相手方の本件仮処分決定の執行取消決定申立は事実上の点について疎明がなく、失当であるからこれを却下すべきものである。
よつてこれを認容した原決定を取消し、主文のとおり決定する。
(裁判官 藤江忠二郎 原辰 浅沼武)
抗告の理由
一、抗告人は申立外堀越俊に対する千葉地方裁判所松戸支部昭和三十一年(ヨ)第七号仮処分決定に基き別紙目録記載の物件につき昭和三十一年四月二日執行をなしたところ相手方は第三者異議の訴を起し右執行処分の取消決定の申請をなし静岡地方裁判所沼津支部は此の申請を相当と認めて原決定の如く執行処分を取消したものであるが同裁判所は相手方の提出した疏明書について抗告人から予め上申書を以て相手方から自己に有利な不実の事実を申立てる虞があるから抗告人(被申請人)に対し反証の提出及供述の機会を与へられるため当事者を審訊するか或は口頭弁論を開かれるよう上申したけれども同裁判所は相手方(申請人)の一方的陳述や疏明を信じて執行取消は決定されたものである。
依つて抗告人は抗告理由の詳細を疏明書を添へて追申致します。
即時抗告理由書
一、原決定は本件仮処分執行当時被抗告人が本件家屋に対し占有を有することを理由とする被抗告人の第三者異議の訴を本案とするものでありこれが「法律上理由ありと見え且事実上の点に付き疏明ありたる」ものと認められたものであろう。
然し乍ら被抗告人の申立は法律上全く理由なきのみならず事実上も到底疏明せられないものであるにかゝわらず被抗告人の虚偽の申立を一方的に採用され口頭弁論を開かざるのみか抗告人の審訊すらなさず本件決定に及んだことは遺憾に堪えないところである。
二、本件仮処分が執行されたのは昭和参拾壱年四月弐日である。然るに被抗告人は右仮処分執行当時本件家屋に占有を有しなかつた(乙第二号証の十)のみならず、有し得る筈がなかつたのである。即ち本件外桂為助を申立人、同荒川元靖、同岩崎ハル子を相手方とする沼津簡易裁判所昭和参拾年(イ)第三二号建物売買等和解事件の和解調書正本に桂は当時本件家屋に占有を有していた被抗告人に対し承継執行文の附与を受け家屋明渡の強制執行をなし、この執行は昭和参拾壱年参月弐拾七日に完了して居り(乙第一号証の九)、その後前記仮処分執行当時迄権限ある者によつて入居を許されたことはない(乙第二号証の十一)からである。
三、被抗告人は前記承継執行文の附与が違法なりと主張せんとするものゝ様であるが、然らばこの違法を攻撃するには執行文附与に対する異議乃至異議の訴の途があつたであろう。而しかゝる方法は執行完了後はとることができず、最早他に争う方法がないと云うのが通説である、けだし然らずして執行を受けた債務者が執行完了後、或は占有権を主張し又は賃借権等の本権を主張して、更に第三者異議の訴又は占有回収の訴等を以て争い得るものとするならば実際上殆んど止る処を知らず甚だしく法的安定を害するし、理論上も亦強制執行完了により回復を求むべき占有権はなく、又仮りに被抗告会社が執行前に賃借権を有していたとしてもそれは前記強制執行の完了により対抗要件を失い、之を所有者桂又は賃借人堀越に対して対抗し得ないからである。
四、前項に主張する如く本件仮処分執行取消の申立は主張自体法律上理由のないものであるが、事実上も亦理由のないことは第二項に陳述した通りであるが更に之れを敷衍するならば
(イ) 桂為助は昭和参拾年拾月参日荒川元靖より本件家屋を金参百万円で買受けることになつた。(乙第一号証の二)これは右荒川の気持としては桂より本件家屋を担保として金融を受けるつもりでいたかもしれぬが同人は当時迄多額の旧債に苦しんでいて、伊東市に於ける債権者泣かせの札付の者であつて、本件家屋売買代金も旧債返還にまわすことは明らかであり又荒川は旅館経営等の能力は殆んど無いものと考へられていたから一応荒川に買戻権を与へたものゝ桂の真意としても十中八九迄は荒川が買戻権を行使し得る筈はなく結局桂に於て完全に本件家屋の引渡を受け自ら旅館経営をなすか、又は他の者に之を賃貸する予定であつて、通常の家屋担保による金融とは全く異るものであつたわけである、その売買契約の内容は売買契約書(乙第一号証の二)及前記和解調書(乙第一号証の三)記載の通りであるが特に注意を要することは売買代金は一応参百万円となつているけれども、右売買契約当時本件家屋に付日本相互銀行に対し弐百万円の根抵当権を設定し、百六拾参万円を借用していたこと従つて桂に於て完全な所有権を取得するには之を弁済せざるを得ず、その他売買登記登録税に約弐拾万円、不動産取得税に約拾四万円を要しその他本件家屋買受けのための諸雑費を含めれば実質上は優に五百万円以上を以て本件家屋を買受けたことになることである。
尚桂は本件家屋を買受け直ちに引渡を受くべきところを特に一ケ月弐拾弐万五千円の使用損害金を以て昭和参拾年拾弐月参拾壱日迄猶予することにしたので其額は同日迄に約七拾万円、昭和参拾壱年壱月以降本件家屋明渡迄約三ケ月間に約七拾万円合計百四拾万円を加算せられるべきものである、因に右弐拾弐万五千円は伊東市内の建坪約百五拾坪の旅館で豊富な温泉権及旅館営業に必要な一切の家具什器備品等の動産を含むものゝ使用損害金としては決して高きに失するものではない。
(ロ) 本件家屋を買受け明渡を猶予する契約を桂がなし和解調書が作成された当時本件家屋所在地を本店とし荒川元靖を代表取締役とする被抗告会社が存在すると云うことは荒川に於てヒタ隠しに隠していたものであつて、本件家屋には所有者たる荒川及その事実上の妻で旅館こはく苑の営業名義人たる岩崎ハル子並に使用人以外は居住していないと云うことは被抗告会社の代表取締役及取締役となつている(甲第八号証)荒川及岩崎に於て之を明言し(前記和解調書第五項)桂より請求ありたるときは何時にても岩崎より桂又はその指図人に名義変更することを承諾していたものであつた。
通常の金融の場合に債務者が担保に供すべき家屋所在地に密かに会社を設立して置いて金融を受け債務不履行により明渡請求を受ける際にその占有を主張して明渡を阻止せんとすることは悪質な債務者の詐欺的常套手段であるが、桂に於ても本件家屋明渡の執行をなして初めて被抗告会社の存在を知り荒川等の悪辣なるに一驚を喫した次第である。
(乙第一号証の八)
そもそも強制執行法上占有とは事実上の所持を謂ひ、外観上認識し得る客観的状態をいうものであるが第三者異議の訴の理由となし得べき占有も亦之と同意義に解すべきことは云う迄もあるまい、而して旅館営業の目的に供せられている家屋に対する株式会社の占有ありというには当該建物に株式会社の事実上の存在即ち旅館経営の事実があるか、少くとも旅館営業許可名義は株式会社となつていなければならない筈である、然るに前記和解調書成立当時かゝる事実がなかつたことは勿論荒川、岩崎に於ても其事実がないことを明言していたものであるから少くとも当時に於ては被抗告会社の占有がなかつたと謂うべきである、そして荒川、岩崎に対する債務名義を以て本件家屋明渡の強制執行をなした際、本件家屋に居住して居た岩崎ハル子息子岩崎正伯及こはく苑使用人(支配人)鎌田六郎が執行吏に対し被抗告会社が昭和参拾年拾弐月拾日より占有を開始した旨明言したのでこの旨記載されている公文書たる執行調書(乙第一号証の八)を証明書として被抗告会社に対する承継執行文の附与を受け更に同会社に対して明渡の強制執行を完了したものであるから(乙第一号証の九)この点についてもいさゝかの違法の点は考えられない。
(ハ) 桂は荒川の本件家屋を買戻し得る能力については最初から疑問をもつていたが、果して昭和参拾年拾弐月末に至るも買戻を実行する様子はなくわずかに一ケ月分の使用損害金弐拾余万円を荒川から一度持参支払つた丈であつたがそれでも尚しばらくは猶予しようと好意的に二ケ月余も待つていたが何の挨拶もなかつたので止むを得ず明渡を実行した訳である。
(ニ) 桂は明渡の強制執行を決意したのでそのことを年来の知人たる堀越俊に話した処同人は千葉市椿森町三十六番地旅館山の公園荘を経営する京葉観光株式会社の代表取締役をしていて(乙第一号証の十二、十三)経験があるところから本件家屋を賃貸して呉れと云う事であつた。桂は元より旅館業の経験もないところから強いて自分で経営しようとも思はず、昭和参拾壱年参月壱日頃予め之を承諾し取り敢えず賃借権設定料として金百万円を受領した上同月弐拾七日に堀越のため賃借権の譲渡転貸を認める賃借権の設定登記をなしたものである、然るに被抗告人提出の甲七号証大塚藤二郎提出の「証明書」と題する書面によると堀越は桂が強制執行に使用する人夫であつて到底これ丈の旅館を経営する能力がない様に記載されているが、同人は強制執行関係の経験あるところから人に頼まれゝば執行立会人になることもあるけれ共、元々千葉県下に広大な田畑を持ち相当な事業資金も常に手もとに有する資産家であつて前記の如く旅館経営会社の代表者でもあり前記「証明書」の記載は全く虚構の事実を以て同人を誣うること甚だしきものである。
(ホ) 三月二十七日本件家屋に対する明渡の強制執行が完了したが、当時未だ前記本件家屋に対する日本相互銀行の根抵当権設定登記が抹消されていなかつたので桂は資金繰りの必要上本件外富永富雄と本件家屋の売買予約をなし売買代金の内金として同人より六拾五万円を受領した上本件家屋に売買予約の仮登記をなし之と前記堀越より受取つた百万円とを合せて前記銀行に百六十三万円也を弁済したものであるが、甲七号証大塚の証明書には富永富雄も無資力である旨記載されているけれども同人は東京不動産商事株式会社及新東都産業株式会社の各代表取締役であつて(乙第一号証の十四、十五)不動産売買の仲介及金融業はその本業と云うべきであり甲七号証の前記記載も亦虚偽のものである。
(ヘ) 一方堀越俊は百万円を支払つて桂より賃借権の譲渡及転貸を認める賃借権を取得したがかねて台東区浅草千束町弐丁目七七番地に於て料亭「ふじ」を営む(乙第二号証の十三)青木綾子が熱海伊東方面に於て旅館を経営したい希望をもち適当な物件を物色していたので同人に対し本件家屋転借のことを話した処同人も之を希望したので三月二十日権利金百万円賃料一ケ月十万円を以て転貸することを予約し右権利金を受領した、しかし乍ら本件家屋明渡の強制執行の費用が以外にかさんだので桂より敷金四拾万円の増額要求があつたことと現実に明渡が完了してみると想像以上に本件家屋が旅館として好条件にあることが分つたので堀越も慾が出て権利金を更に五拾万円増額して一ケ年分の賃料を前払することを要求し之に応じなければ他に転貸する気配を見せるに至り、こゝに抗告人と堀越間に紛争を生じ抗告人青木は遂に右賃借物引渡の権利保全のため本件家屋の占有を執行吏に移し占有の移転その他現状を変更せざることを条件として債務者の使用を許す旨の仮処分命令を堀越の住所地管轄の千葉地方裁判所松戸支部に申請するの止むなきに至り昭和三十一年三月三十一日この趣旨の決定を得、四月二日之が執行をなしたものである(乙第二号証の十)然るに仮処分執行取消命令申請に際し右仮処分執行に関して被抗告人は奇怪な報告書を提出している(甲第五号証)即ち当時(恐らくは右執行のあつた四月二日)本件家屋に働いていたと称する岩崎正伯外十名の者が「右家屋を堀越が占有していたことは無く、この店に住んでいたこともありません、偶々執行当日執行吏代理山本不二男が堀越俊と称する男をこはく苑に連れて来て架空の執行をしたものであつてこはく苑の代表取締役荒川元靖も取締役岩崎ハル子も全然知らない間に公示書を張られてしまつたものです……」と報告している。
然し乍ら前述の如く本件家屋は三月二十七日に荒川、岩崎両人に対してのみならず株式会社こはく苑に対しても(仮に承継執行文の附与が違法のものであつたとしても)完全に明渡の強制執行が完了していたものであつて荒川、岩崎が本件家屋に居住しておらず、従つてこの四月二日の仮処分執行を知らなかつたことは当然のことであり、又この報告書を提出したこはく苑の従業員と称する者も執行完了後は本件家屋には居住していなかつたから、同人等は全く不知且虚構の事実が記載されている文書に何者かに強いられて署名捺印したとしか思はれない。
仮処分執行当時本件家屋を占有していたのは堀越俊であり偶々執行当時は不在であつて、同人の留守番(占有代理人)堀越正也、佐藤信雄、持田博の三名のみが此処に居住していて、荒川は大磯に、岩崎は隣家の内山と云う土産物屋に部屋借りをしていたのが事の真相である。(乙第二号証の九)
(ト) その後四月十三日頃岩崎ハル子より誰にも損をかけないから引続き本件家屋を売戻して旅館業の営業をやらして呉れと云う懇請が人を介して本件家屋の所有者桂に対してなされた。桂は既に本件家屋を堀越に賃貸してあり又富永に売買予約の仮登記をして借金しており堀越が青木に転貸していることも知つていたので一応之等の者に諮つて見た。当時既に青木も開業準備を相当進めて居り今更この計画を抛棄したくはなかつたし堀越、桂に於ても莫大な失費を重ねていたから岩崎の希望を容れる考へはなかつたけれ共その懇願が余りに執拗なものであつたので之を無下に却けるのも気の毒だと思う様になり果していくばくの代金を受領すれば損失を受けないで済むかと桂は一応計算して見ることになつた。
桂が本件家屋等を買受る為に支払つた金額は前記<イ>記載の如く五百万円(日本相互銀行に対する岩崎、荒川の債務支払分を含む)であり前記和解調書により荒川、岩崎から桂が受領すべき使用損害金は約百二十万円に達している、其他明渡執行費用等に四十万円余を支出して居り桂としては少く共六百五、六十万円以上受取らねば欠損を生ずる事となり堀越は既に桂に支払つた百万円の返還を桂より受けるとしても桂より目的家屋等の引渡を受けた昭和三十一年三月二十七日より右目的建物等の管理費用等及青木に対する契約解除に基く損害賠償金等として桂に対し最底百万円の要求をなしていた為に桂は少く共岩崎等より売買代金として七百五十万円以上の支払を受けなければ到底本件家屋を売戻すことは出来ない実情にあつた様である。
そこでとも角も関係者一同が伊東市に集合して示談を進めることになつた、本来ならば強制執行により本件家屋より退去を命ぜられている岩崎等は本件家屋の敷居すらも股がせ得ない筈であるが他の旅館を会合の場所に利用するには無駄な失費もかゝることでもあり、又当時岩崎等より桂に対し辞を低くして只管懇願して来た等の事情もあり桂もよもや後に開き直つて本件家屋に居直るとは考えてもいなかつたので桂は単独で本件家屋に岩崎等を呼んで示談の会合を開いたわけである。
四月十五日頃の桂に対する岩崎の話では今すぐにでも七百五拾万円を横浜方面より調達して来ると云う事であつた。然るにその後一向に之を持参する様子もなく一ケ月近くも徒過して了い、堀越がその間に要した留守番費用も又嵩むことになつて最初の七百五拾万円では採算が取れないことが明らかになつたので結局弐拾五万円を増額し七百七拾五万円を以て売戻の示談に応ずることになつたそこで桂、堀越は岩崎等がこの金を桂へ持参するものと信じ好意的に待機し一切の処置を見合せて居たところ意外にも五月初旬に至り岩崎等が朝鮮人塚本其他数名の無頼漢を糾合し公然本件家屋を占拠し前記仮処分を無視する態度を取つて居ると云う情報が入つたので抗告人(仮処分債権者)青木は驚いて二回に及んで執行吏の点検を求め不法占拠者の排除をせんとした処点検調書に記載はないが実際には彼等の威圧脅追により執行不能の状態にあつた。然るに突如全然虚構の報告書、証明書を添付した第三者異議の訴及び執行取消を原裁判所に申立て被抗告会社に於て原決定を得た次第である。尚乙第二号証の十一点検調書には荒川元靖は執行吏占有中の本件家屋に執行吏に無断で入居した理由として債権者桂為助と示談成立の見込にてその了解の下に入居した旨陳述したと記載されている。成程本件家屋を岩崎等に対して売戻すについてはその代金の大部分を所有者桂に於て取得すべきものであつても、当時桂は既に本件家屋を堀越に賃貸していて自らこれを使用する権限もなく況んや他人に使用せしめる権限は全く有していなかつたのであり殊に仮処分の執行により執行吏の占有にあつたわけであるから仮に桂が入居を許可した(かゝる事実はない示談会合のために呼んだに過ぎないことは前述の通りである)としても、それは全く権限のない者の客来としての了解に過ぎず、その入居を正当ずける理由にはならないことは勿論である。
要するに被抗告人の本件執行取消の申立は法律上も事実上も全く理由がなく殊更虚偽の証拠書類を以て抗告人等を悪者に仕立てあげ原裁判所を偽罔し其感情に訴えて不当な決定を得た次第であるが、このまゝ前記無頼漢等に占拠されていては既に旅館開業の準備を整えている抗告人の被むる損害は甚大で益々累増するから一刻も速かに原決定取消の御決定を得たく本申立に及んだ次第である。